本物の姿・中島川の石橋群

長崎市内を貫流する中島川には日本最古の眼鏡橋(寛永11年)を初めてとして幾つもの石橋が架かっていた。昭和57年長崎大水害でほとんどの石橋は流失した。眼鏡橋と桃渓橋が大破しながらも流失は免れた。
大水害前の本物の石橋の姿を紹介する。
なお、埼玉の地から訪れた時はあいにくの天気で、良い写真が撮れなかった。
  
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眼鏡橋(国指定重要文化財)
  
  
   
   
  
  
  
        

大洪水後の中島川
昭和57年長崎地方に時間100mm・3時間の記録に残る豪雨が襲い、多くの石橋が失われた。 ニュースを聞き、仕事の処置をつけ埼玉の地から駆け付けた。
大洪水を耐え抜いた眼鏡橋
右岸側の橋詰は拱環石以外は流失
大洪水を耐え抜いた桃渓橋
拱環石と橋面のアスファルト舗装を残して破損。

橋があった景色は上部「本物の姿の石橋群」の写真の中にあります。

同じく橋のあった風景は上記の写真の中に有ります。
左側白い堤の補修部分に橋があった。 
   
この大洪水で中島川以外でも多くの貴重な石橋が失われた。
 現川の4橋 市指定文化財 
 滝の観音の普斉橋・羅漢橋 
 柳山橋  鉄平石で造られた珍しい橋 
 川平眼鏡橋  名工河野茂太郎建造の橋
   
 

中島川改修の水理実験 
 
 
眼鏡橋と袋橋部分は両端に暗渠を設置する計画。その実験状況
 
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レプリカの石橋群
 石橋群を再現するには多くの困難が伴ったと思われる。
1、洪水量を流す河川断面の確保する。
  大規模な水理実験を実施、眼鏡橋は脇の道路下に大きな暗渠を設け河川断面を確保した。
  その他の橋は全て嵩上げ・鉄筋コンクリート桁橋として再現した。
2、川を渡る橋の機能を確保する。
3、流失した石橋の姿を出来るだけ忠実に再現する。
以上の条件から現在の石橋群が誕生した。

私には新しく構築された石橋群はどうしても違和感があり、しっくりしない。
苦心の上の再建であり、部外者の人間としてはとやかく言えない。
しかし、やはり石橋群は消滅したと考えざるをえない

修復なった眼鏡橋  横の道路下にもう一つの川を造り流水断面を確保してる。
修復なった桃渓橋  昔の姿が甦る
 
移築復元された高麗橋  西山ダム下の河川公園内
 
レプリカの石橋群
   
   
  
   
   
   

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